• 谷澤京子キャラクタ

ブログ

酒マッサージの誕生 小山田秀雄先生との出会い 2011/1/29(土)

今日は、酒マッサージの師 小山田先生についてお話します。

小山田先生は明治37年の生まれで、大正2年に戸籍も抹消し、

19歳で陸軍中野学校の前身である陸軍の特務機関諜報部員となり、

インドネシア、満州、北支などを転戦した。

小山田先生の体の中には、弾丸の破片が残っていて、

酒マッサージを施す合間の雑談中に、ヤスリを手にし、

スネや足などにヤスリをかけて皮膚から破片を削り取っている姿

をよく見かけた。。

昭和3年、小山田先生が24歳のときのこと、隠密裡に中国大陸に潜入

していた小山田先生は上海近郊で捕らえられ、

数日間たいへんな拷問を受けた。体はめためたに傷めつけられ、

処刑の日を待つばかりの身となった。

そんなある日、看守が「死ぬ前になにか希望があれば叶えてやろう」

といい、小山田先生は「せめてこの世の別れに酒を一杯飲みたい」

と言って、コップ一杯の日本酒を差し入れてもらった。

その時、日本で諜報部員になるための色々な教育を受けた際、

上官に教えられた、負傷などしたときは、酒をぬってマッサージ

すれば自分で治せる!!と手当ての仕方を教えてもらっていたのだ。

そこで、その酒を飲まず、拷問で傷めつけられた体のあちこちに

酒をぬりマッサージをしていった。

そうしたところ、体をだいぶ動かせるようになって運ばれてきた

食事をしっかりとり、看守が食器をさげに来た際、

柔道四段、剣道四段の腕前の小山田先生は、当て身をくらわせ

気絶させ、脱獄したのだ。

一週間マンホールの中に、追手がいなくなるのを待って逃亡。

そして苦労を重ね、日本に辿り着いた・・・。

終戦から3年、独学で研究に研究を重ねた、酒マッサージを

自宅で細々と開業。。

ある人の推薦で西武ライオンズの影のトレーナーとして

大いにチームに貢献する。

「神様・仏様・稲尾様」とまで言われた稲尾さんの鉄腕の肩を

入念に酒マッサージし連投に続く連投を影で支えたのが小山田先生である。

その後、名古屋を中心とした中京地区に

「ヤワラ研究会」を発足し、もともと福岡に住んでいらっしゃったので、

名古屋にいらっしゃる期間はだいたい10日間。

福岡→名古屋→福岡・・・・

プロ野球選手や相撲取り、競輪選手などなど、どんどん口コミで広がりをみせた。

その名古屋に来られている時に小山田先生と出会う事になった。


おなまえ 
タイトル 

投稿者パスワード 編集・削除時に必要です